残念すぎて、昨日はメモする気になれなかった。

 


くじで引いたのは、高橋先生の隣の席だった。

でもそこに、高橋先生は来なかった。

今日は来れなくなったんだって、とか、あらゆる耳に入ってくる情報がショックで、また、こんな話もしただろう、あんな話もできたのに、とか、そんな考えばかり浮かび、会はわたし史上最低に面白くないものになり、もうくじでこんな当たりは引けないだろうこととか、むしろもう飲み会に参加できないだろうこととか、考えれば考えるほど残念で、残念でしかなくて、心底残念だった。

 


きっとたくさん話せたのに。

絶好のポジションだったのに。

 


そう強く思う一方、なんだか意図的に、高橋先生に避けられてると感じる時がある。職員室の席で目が合わないこととか、なんか、不自然さを感じる時がある。欠席も、その延長だろうか、とか思ってしまう。

一方で、運動会の6年生の組体操が終わった時とか、ふっと横を歩いてきて、わたしが話しかけるタイミングを作っていたような時とか、この体育で一緒になった間に、向こうから近づいて話しかけてくれるようになったこととか、なんだろうな、男性不信になっている今だから、八方美人だとか、簡単な結論を出して引いたような気持ちになってたけど、でも、いつどこでどうなったんだったか、やっぱり少し好きになってしまっている自分がいて、高橋先生の気持ちは全然わからないのだけど、何かしら、感じてくれているだろうか、と思っている。

 


葛藤を抱えながら、自分の職務を一生懸命こなしている高橋先生。そこには、触れてはいけないのかもしれない。プライドに触るのかもしれない。わたしは、それに触れてきそうな馬鹿な女に見えるのかもしれない。

 


わたしにはプライドなんてないのだけど、目の前の仕事を一生懸命したいなと思って、あの時の情熱にいまだ突き動かされながら、もがいてみせている、でもその根っこのところも怪しくて、もう簡単にやめたりしそうで、そんな時は第三子案が保険になり、でもやっぱりしばらくはやめないかもしれない、その熱量で際どく生きている。