歓迎会の時、先生が「この人仕事が大好きだから」みたいなことを言われてたようなことをふと思い出した。

 


幹事だった先生のことはよく覚えている。

とにかくタイプじゃないと思った。

細面で、調子のいい、信用できないタイプというか、メチャメチャな評価じゃないか、とにかく、率直にそう思っていた。

歓迎会の途中も、主に仕切っていた先生は挨拶に来ることもなく、わたしも特に気にせず、とにかくその場の空気を読むことに必死で、無事に済んで帰ることだけを目標としていた。たぶん出口付近で、今日はありがとうございましたぐらい言ったと思うけど、それぐらいだったと思う。

 


翌週、初めて学校に入り、満開の桜の木の下でお昼を食べるのに参加することになった。わたしは先生を横から見て食べるみたいなポジションになり、隣は誰だったか、とにかくお弁当を必死に食べながら、でも、歓迎会の時と違った若い髪型を新鮮に見つめたり、あ、あのセーター、わたしと色違いのユニクロだ。あのセーター、この学校に着てけないな。なんて思っていた。

 


意識するようになったきっかけは全く記憶になく、始業式の日の、5年生の漢ドのことで先生のクラスに何度も行って協力してもらったこと、改めてクラスに行った時に子どもにきちんと紹介してくれたこと、身体の弱い子のマラソンのことを聞いたこと、等が初期の交流だったと記憶してる。そのやり取りの誠実さ、丁寧さは好印象で残っていたとは思う。そのうち先生の顔のよさに気づき、見かけると嬉しくなり、探すようになり、チロルチョコのメモで舞い上がって、スケジュール等を確認するようになり。ストーカーみたいなことはやめよう。

 


チロルチョコのメモは2個目になり、わたしは食べることができないでいる。避難訓練の度に増えていくのか、楽しくなる。

先生のことを掴めないでいて、真意は、なんて考えてしまうんだけど、仕事が好きというのが一つの基準だとして、たまに向けられる気がする好意的な雰囲気とか、それとは逆のつき離すような雰囲気、そのどちらもわたしなんて理由になっていなくて、あるとしたら仕事や子どもに対する姿勢とか、自分にはないものを感じることとか、一生懸命さとかが、先生に伝わっているのかもしれない。

わたしが学校で働くことについて矛盾して苦しんでいることとか、わたしの私小説じみたことには1ミクロンも興味がなくて、そんなことを滲み出そうとしてるわたしはくだらなくて、そんなことはどうでもいいから、何ができるか、何をするか、わたしはどれだけのラリーを返せるか、を考えていればいい気がする。わたしが結論を欲しがって好意を露わにしても、先生には迷惑なのかもしれない。

 


午前3時の妄想が、日常を侵してこないようにしなくてはね。