思考は続いているのだけど、高橋先生の視点、というものを考えてみる。

 


女子力が高い、と表現したことがあった。

子どもの話をした時に、男の子いいですね、と言ったら、ぼく女の子がよかったんですけどね、と言った。まぁかわいいですけどね、と言いながら。まぁどっちかだよなと思いながら、その後その話が引っかかってよく浮かんでくる。女の子、服とか可愛いしな。先生は確かに男らしいところがあるんだけど、もしかしたら女の子になりたいぐらい、女の人が好きなんじゃないか。または女の子の物が。服とか小物とか、可愛い物を好み、それが似合う自分をモテに使っているところは確かにあると感じるのだけど、純粋な趣味もあるのかもしれない。

 


また、わたしは確かにオバサンだ。

そうなのだけど、先生にとっては圏外に過ぎないのだけど、たまに、先生の視線を感じることがある。普段どちらかというと視線をそらされがちだから、その視線が目立つ時がある。

こないだの飲み会だと、帰りに下駄箱から靴を出して履いた時。もう下駄箱に手を伸ばしたぐらいから見られていたので、ちょっと意識しちゃってギクシャクしながらさっさと履いて、ずっと座っていたおしりのラインを多少気にしながら、帰り際に行くと決めたトイレに行った。その間たぶんずっと見られてたと思う。見られてる時に今度見返してみようかな。先生が好きなのは、髪をアップした時とか、変化のある時だけど、わたしの予想では、ずっと机越しに向き合って見えなかった服装全体を初めて見て、結構好みだったのかなとか思っている。靴とか、全体的に清楚にしたから。堂本剛が好きな異性について、食べ方とか指とか、わたしが見て欲しいなと思うところを見てるという記事を見て、先生もそうだったらいいのになと思った。わたしの指を綺麗だと思ってくれて、グラスを渡すとき全て触れてくれていたとか。焼肉屋の出口でわたしを探したあの視線は、わたしの行為のどれかを気に入って向けてくれたのかなとか。

 


あと出会いがない、という話も、話の流れからすると、わたしの学校以外での出会いを羨ましく思っているみたいにとれることに気づいた。先生はたぶん、わたし目線で聞いていた。視点が相手なの、先生のいいところ。だから、女の人と話す先生は女っぽいと感じることが多いのかもしれない。先生に女っぽいと思われたい。わたしの女子力が欲しい。先生にとって魅力的な女子に映りたい。そう映っている時、視線を感じてるんだと思うし。

 


女らしさが欲しい。オバサンになっていく自分に抗って、先生がなりたいと思うくらいの女子力が欲しい。

 


さっき書いたのだけど、先生はあの時、確かにわたしを探していたと思う。どうしてなんだろう。飲みの途中でこちら側を見てるから顔を見ても、絶対に目が合わないことが2、3度あったのは、あれはなぜだろう。見てませんよアピールだろうか。靴を履く時に見たら、あんな風に見られていたのだろうか。