買い物の失敗が続く。
ピアノの本がメルカリであったのに新品で買ったあたりから。
クリアティーポットもサンドでパンダも高くついたし、ナイトブラも焦って買ったら昨日から楽天セールが始まって30%オフだそうだ。
一昨日焦って買った本が昨日届かなくて、実家に届いていてアマゾンの住所録を速攻消した。
なんだろう、こうなるから買い物は慎重にしてるのに、えいっと思い切った時に限って失敗する。
試験が終わったら、身の回りを整頓していきたい。

日本語練習帳を読んでいる。
パラパラと読むには手ごたえがありすぎて、深く読み込むのは試験が終わってからだけど、心をうった部分があった。

言葉は表現行為の一つである。

言葉を使うときは、いつも相手と関わりたいという心をもつとき。相手が自分について、また自分の思うことについて分かっていないところがあるのを、分かってもらいたいと相手に求め、相手の注意を引き、相手の知らない事柄を知らせる。

心には一人の人しか浮かばない。というのも美しい言葉だった。

井上くんが質問の返しではなくて、一次でいっぱいいっぱいだったことや、自己採点してないことを教えてくれたことを、誰に対しても言ったのかもしれないけど、嬉しく思っていた。なぜだか心に残っていた。井上くんは、わたしに知ってほしいと思って話してくれていたのかもしれない。わたしはあの時、質問してばかりでわたしのことで聞いてほしいことなんて口に出してなかった。わたしには気持ちがなかったのだろうか?いや、あるけど口に出せないようなことばかりだからだ。口に出せるとすれば、あなたと話すのは気持ちがいい、できればもっと話していたい、許される形が昨日で終わってしまい、寂しく思っている。ということ。

運命に身を任せるしか方法がない。
自分の進むべき道に向かっていれば、あなたとまた一緒になるときがくる。わたしが受かればあなたも受かるし、わたしが落ちればあなたも落ちるような気がする。
塾でまた近いうちに会えるのかもしれない。どこかの学校で、一緒になるかもしれない。その日を待っているけれど、今日は少し涙が出やすい。
わたしは、そんな立場ではないんだもの。井上くんがもし、もし少しでも好意を持ってくれていたとしても、井上くんにも考えはあるだろう。その考えというのを聞いてみたいけれど、それはその人のものなんだろう。
伝えてくれた言葉があれだった。
もし、もう少し話す時間があれば、違う言葉もくれたのかな。
結果発表はわたしの誕生日あたり。
そこの握手会に参加できたら、また会えるのかな。