今日はとてもアクティブな1日。
8時出発の9時20分実家着、お乳をあげて9時50分発の目的地10時15分着。

気もそぞろにあの人を探し、席に着く前に全体を見渡し、いたら近くにでも座ろうかと思うけど見当たらない。ので、もう後ろの方に座る。
チラチラと後ろを振り返ってチェックするけどなかなか現れない。
何度目か、左の方をバッと振り返ったら、あの人と目が合うなり、こんにちは!と言われた。
あ、こんにちは!と返し、ポーッとする。あの早さは、後ろ姿でわたしだと知って声をかけた早さではないのか。そう感じて、幸福感が押し寄せ、にやけてしまうのを隠す。嬉しい。嬉しい。今日はもうこれでいいや。

帰りもノロノロ帰ったけど、出口でちょっと見かけたくらい。恥ずかしくて目を合わすことも憚られ、代わりに隣にいた子と何回か会釈する。アナタじゃない。
ああ、また来週だなぁ。1週間かぁ。
バスツアー行きたいなぁ。もっと会いたいなぁ。連絡先を知りたい。

今日の出発前、なんのはずみかあの人のfacebookのメッセージをブロックし、どちらのメッセージも消した。
後悔しないか不安だったけど、止められなかった。
1日に何度もお知らせがないか見てしまう。写真に変化がないか見てしまう。それが辛くなっていたのだと思う。facebookで繋がる可能性も理由もないと思った。
向こうからfacebookで連絡が来ることはとりあえずない気がした。あんな構ってほしそうな写真に変更したのに、どちらもブロックしてあって、わたしのリアクションはいらないという意思表示だと思った。
あれ、ブロックされてる、と気づくのはfacebookがいいと思った。それでSMSの方も試すか解除ぐらいしたらいいと思った。
写真が見れなくなることと、写真の変化がわからなくなることは少し惜しかった。愛しかった手。それを見れることは苦しかった。端に写ったタンブラーも嬉しかった。違うかもしれないけど。写真の変更によって、近況がわかるのも嬉しかった。もう検索かけられないようにしてあるから、削除したら見れなくなるのはわかっていた。
でもそんなのを待つのももう嫌だったし、随分嫌われたし嫌になったし、わたしだけ見続けているのが嫌だったし、この先もないと思った。
だからこうした。あの人側からは何でも連絡手段があるから。ある日突然、また面白いことを仕掛けにくるかもしれない。一生こないかもしれない。わたしからは何もできない状態なのが大事なのだ。わたしはもう何もしない。何も知ることはない。わたしの人生から、姿を消していく。

そんな辛気くさいことより、あの人のことで喜ぼう。
なんだか敵対の視線を感じる女の人がいる。対抗しようと思う。ダイエットをがんばって、キレイに磨きをかけよう。そんな喜びもある。

今日はあの人から声をかけてくれた。挨拶だけど。でも全然しなくていい姿勢だったのに、わざわざ振り返って。今日も運命がひとつ動いた。
来週末は何かあるだろうか。
この週は願書を完成させないと。