すごいがっつり宮本くんが夢に出てきてくれて嬉しかった。昨日はずっと考えてたからだろう。

もうどんな夢か忘れちゃったけど、長く話せる夢だったと思う。現実になったらいいのに。

進撃の巨人がおもしろい。宮本くんのオススメという感覚はなく、純粋に楽しんでいる。全部みたら話題を振れるとは思ってるんだけど。

先輩の時の、あまりおもしろくないラジオを無理に、というのとは違っていい。コアなものを勧められるのは辛いのかもしれない。

巨人はいい。エレンが格好いい。ミカサの嫉妬がいい。ちょっと残酷なシーンが嫌だけど、ストーリーの面白さでカバーされてしまう。漫画で何度かトライして無理だったのに、アニメがいい。アニメのための作品だなあれは。最近そういうの多い。

 


昨日、病床に任せてまたネットで血液型や心理を調べてしまっていて、無駄なんだけど、わたしの文字量に対して、宮本くんのラインも言葉も足りないことに気持ちが無いと判断し、物足りなさを感じていたのだけど、自分の悩みですら、うまく言語化できてないことを思い浮かべて、そういうところがあるという情報をひとつ得れた。わたしがいつもつい喋りすぎてしまって、宮本くんのせっかくの弱音を潰してしまっていて、いかんなと思っていたのだけど、わたしは感覚的に、宮本くんを補っていたんだと思う。わたしが質問をやめちゃうと、話すのもやめちゃうもんな。

カウンセリングを思い出すといいのか。わたしが感情に任せて出す言葉を、先生がメモに整頓してくれてるのを見るだけで、笑えてきちゃうぐらい嬉しかった。わたしのことを知ろうとしてくれてる。というのは、こそばゆいような、嬉しい感覚だった。

先生かぁ。ずっと感覚的に過ごしてきたからなぁ。わたしも言語化してないといえば言語化してない。考えているところと、そうでないところの落差がすごい。考えているところだって、そんなに深いと思わない。人のことをそんなにおもしろいと思っていない。その範囲内で、人の気持ちによく気づく。あっ、やっといいとこ出た。自分を高める努力。かまってちゃんのほっといてちゃん。これが一番厄介。これらを本人に指摘したら、たぶん怒りに触れる。それも時と場合による

。面倒な人。独占欲、征服欲が見え隠れ。頼りたい時は自分から寄っていくので、それまでは来なくてもよし。

 


はてなから1年前のブログを振り返りませんかとメールが来たのでまんまと触発されて、お楽しみ会あたりまで読んでいたら、もしかしたら、最後のお楽しみ会も、わたしをなあなあで参加させるつもりだったのかもしれない、なんて考えが浮かんだ。わたしに予定がなければ、きっとあのまま参加していた。そこで、お礼を言う場を設けようとしてくれていたのかもしれない。

 


わたしのそういえばに乗せたついでみたいな慰めの言葉も、写真送りませんでしたっけという先生の言葉にわたしはむっとしたように、先生をもしかしたらむっとさせてしまったのかもしれない。

 


全ては憶測の話で、何も残っていないし、全くの誤解かもしれない。でもそうやって、気のある素振りをついしてしまうのが、宮本くんの性質なのかもしれない。引っかかることに無責任なのは、無意識だからかもしれない。