4月ももう3日が経ってしまった。
40歳後半、1日1日を大事に過ごしたい。
昨日は先生とメッセージをやり取りしていた。
といっても間延びした、わたしが続けたみたいなものだけど、それでもわたしは嬉しかった。
昨日で4日間にわたるエスケープも終わり、恐る恐る日常に戻った。薬のせいもあって、よく休めたからか、今朝は4時に目が覚めた。楽しみにしていたコーヒー豆を淹れた。
オイル交換を待っている間、先生にラインを送り、先輩のインスタを見つけてしまう。
途端に雲行きが怪しくなるわたしの心。
焦燥感や恐れが、先生とのやり取りに気がいっていたからそれと混ざって、先生にそれを感じていると勘違いしそうだった。
やっぱり先輩は違う。そんな風に思った。
フォローしようか迷ったけど、とりあえず昨日はしなかった。近日中にするかもしれない。
丁寧に自分と向き合える暮らしは、また消失していく。わたしの力だけで、生活をリセットできるようにしていかないといけない。
夏目漱石のこころを読み始めて、意外に読みやすいのに驚いている。サラサラ読める。
家人のあり方みたいなものが読みとれ、そんな風に、家のことを片づけて過ごす人になりたいと思えた。女中さんを雇うというのはどれくらい普通のことだったかわからないけど、物事を片づけていくのが家にいるものの勤めだと、今さら教えてもらったような、今のわたしの背中を押してくれるものだった。
とにかく家を片づけていこう。
片づかない物の波にのまれていたところはある。
先生の罪。
先生の処遇は、罰であるように感じた。
去年の、連続3年生から、先生の歯車はうまく回らなくなったように思える。
だけど、この1年のあれがよくなかった。
先生にとっては、ホームステイ先のホスト感覚だったと、わたしは思っている。自分にも海外などで受けた恩があるのかもしれない。だけど、それは傍目には不愉快に見えた。指摘されて避けるぐらいなら、してはいけないのだ。
要は妬きもちなのだ。あらゆる人からの。若い男の先生が、あとベテラン女性2人しかいない、低学年の部会に入れられて、専門の体育や英語を発揮できる場所もなく、前年磨きあっただろう社会や英語を教える機会もなく、そんなものは価値のないものだったと烙印を押される。大研究した木版画もないよね。先生は何らかの反省をしてるのかもしれない。春休み返上して。それで、あれに原因を思ったりするだろうか。あれに関わったことは、自分の不幸になったと思うだろうか。あの最悪な状況を、わたしは救おうと尽力していたことに気づかないだろうか。去年はどうか無駄な1年だったと知ってほしい。
特支の女先生は、どう出るかな。えらい3年生を気にしていたじゃないの。わたしの支援するクラスに乗り込んでくるぐらい。そんなに気がかりな子がたくさんいて、特別教室に通う子も出して、次年度はまた先生の学年が気になるって?4年生の方はどうするの?えらい都合がいいこと。
なんて想像に悪態をつく。