教頭先生に電話してよかった。

一度は払拭したモヤモヤも、また出てきている。身の振りがまだ心配で。

 


先生のことを諦めたつもりで、きっと全然諦めてないんだな。これで少しは入れるか、要はそれなのだ。入れないかもしれない場合を思って、また不安がやってきているのだ。教頭先生の良心に委ねている。教務の先生の邪な心を疑っている。

 


4年生の先生の粗探しをしている。宮本くんを肯定してあげたいんだな。

宮本くんのベクトルは最終的に養護教諭に行くのかもしれない。それもわたしを追いやっている。

たくさん入れれば。それを望んでる。

少しでもとかじゃない。これはわたしの邪な心なのだ。他人の邪な心を責めるというのは、きっと自分にもその心がある時なのだ。

 


今日は1日1年生に拘束されて、体育館を横切る時ぐらいにやっと後ろ姿ぐらい見れて、給食の時にも顔を見せてくれて、でも目は全然合わなくて、でも今日は化粧も綺麗にしていってたのでマスク取ったところだったのが逆に嬉しくて、でもきっと直視はされてない。でもそれだけでホワホワするぐらい、週明けて顔を見れたのが嬉しかった。

廊下ですれ違った時は、たぶん意識的に、目は合わせてもらえなかった。先生のそういうの、わかるんだよな。自然じゃないというか。本当にわたしに気づかなかったとかじゃなく、意識的に。

 


昼休み、2年生と戯れて日向ぼっこしていたら、ラスト1分ぐらいで校庭に出てきてくれた。子どもたちを振り切って走る宮本くん。帰りに児童玄関の前で、6年生に話しかける宮本くんは、目こそ合わなかったけど、今度は意識されていたような気がする。わたし、話しかければよかったのかな。でも、なんて。

 


月曜の今朝、また小枝が置いてあって、宮本くんだろうから嬉しかった。そういえば、お菓子のお礼言えたのかな。帰りにお菓子を置いて帰った。喜んでくれただろうか。一言も話さないけど、そのやり取りが会話のようで、嬉しかった。

今度そのお礼を言える時があれば、家宝にしてると言うんだ。笑ってくれるかな。