今日のハイライトは2つあります。
ひとつ目。
鍋なべ底抜け案件。
4人、ときて5人を飛ばして6人を指定してきた先生。わたしと同じこと考えてたのだろうか。最終的に同じ班で底抜けすることになり、ほんのさじ加減で、わたしは可愛い女の子たちに挟まれてしまう。先生と1人の女の子を挟み円になるけど、先生と手を繋げないしんどさがあった。通り抜けるところで、先生がわたしの横を抜けようとしてくる。わたしは先生に触れたい、先生はどうだろうか、という思いから、あえて触れにいくわたし。先生も同じこと考えてただろうか。
一回の仕切り直しがあって、今度こそと入れ替えを試みるが、繋げないわたしたち。
先生と手を繋げたんじゃないか。その可能性に、わたしの頭脳が潰されそう。もっと手はあったんじゃないの、千載一遇のチャンスだったのか…って今晩いっぱい苦しみそう。
そのストレスが、もっとストレートな方法を選択しようという思考を後押ししないだろうか。
先生は、わたしと手を繋ぎたかったのだろうか。
2つ目。
めざまし占い最下位案件。
今日は計画どおりいかないとかで、期待に胸を膨らませまいとしていたのが功を奏したのかもしれない。
しかし渡すチャンスは大いにあると、たかをくくっていた。5限と同時に教室には持ち込んだので、余裕の音楽、あれ、ストーブはフライングだったな〜と全力で鍋なべに傾倒していたのだ。
音楽室で帰りのタイミングがどうやら合わない。先に戻りつつ帰りを待っていたら、そのタイミングがかなり悪く、最悪のタイミングでプレゼントのことを告げて教室から逃げ帰ってきたのだった。
1年生の見送りに行って帰って、大人しく日誌を書いていた。もう今日は先生とは顔を合わせない、と半ば安心して。ガラッと職員室のドアが開いて、視線の端にどうやら先生が映る。ああ、まじか、でもこういう時は先生何か用があるていで職員室に顔を見せ、わたしのご機嫌を伺うのだ、と涼しい顔してスルーしようとしてたら、どうやらわたしに話しかけに来たのだった。
明日にでもいなされるかなと構えていたけど、一言言いに来たみたいだった。それはお礼なのか注意なのか、嫌なのか嬉しいのか相変わらず分からなかったけど、わざわざ帰りの会終わったタイミングか何かでそれだけを言いに来てくれたのだ。
いや、もしかしてそれだけ逆鱗に触れているのかしら?
わたしは精一杯の反省を見せ、謝り、タイミングが悪かったと詫びた。タイミング、としたのは反省しているポイントが違うと先生には腑に落ちなかっただろう。わたしがタイミングという言葉を選んだのは、そこに置いたことに意図があると思って欲しかったからだと思う。ごまかしみたいだけど、職員室に置くのは実際無理だった。給食の時渡す計画も、どのみち無理だったと思う。
わたしが恥ずかしさに耐えられるのは教室にさりげなく、だった。
いや、違う。きっと主には恥ずかしさじゃない。
他の人の視線だな。教頭先生に見られるのもまずいし、他の男の人も、あげないのに悪いとちょっと思ってしまう。あれに見られて、わたしのいない間に火でもつくと困る。図書支援員の先生の、何も知らない無垢な視線も困る。それがまわり回って、先生に迷惑がかかるのが怖い。だから先生にはとっては迷惑だったんだろうけど、害といえばそんなにない教室。のつもりだった。
そもそもあげなくてもよかった、のだけど、チョークホルダーのタイミングはここしかないと思っていたし、本当はバレンタインなんてあげなくてもよかった、でも先生が寂しいと思うより何かしら嬉しいと思う方を選びたかった。
ホワイトデーも本当は断りたい。
わたしの潔癖なのだろうか。
でも先生がお礼をしたいという気持ちを持っているなら、それを無下にしたくなかった。