今日はちょっと塩対応だったので、胸がモヤモヤしたんだけど、まあそんなもんかと許す気持ちが求められるよね。

 


先生に話しかけようとするのがのびのびになっていて、昼休みが終わる時、玄関から入って通りすぎたので、職員室から少し焦って追いかけて、保健室に寄ろうとした先生を、目の前で見てしまって、そのまま走りすぎた。今日はそんな感じでずれている日だった。ジャンパーは一緒だったのにな。用事ができなかったような先生が、後ろにいるのを知っていて、振り切るタイミングでおずおずと振り返り、話しかけたんだけど、それを軽くかわされたような気がするのだ。それでしばらくモヤモヤした。

 


放課後、職員室に先生がきて机に座ったと思うと確かそれが話しかけて、さっきの保健室のことを聞いていた。ふんふんと聞き耳をたてながら、この衝立、邪魔だけど割と助かる時もあるのよねと思いながら、事の顛末を聞いていた。と、急に話をズバッと終えた宮本くん。わたしの手前なんだろうか。ありがとうございまーすみたいな、話の余韻もなく切り上げた。確かにそれは話の切り上げが鬱陶しい嫌いがあり、それを懸念してか、わたしに遠慮でもしてるのか、どんな理由にせよ、わたしの優先を感じて嬉しかった。

さてその後、時間割のことを言わせていただきたく、立ち上がって話しかける。出だしはよくないものの、国語入れなくなって、という言葉に、寂しいですと返してきた宮本くん。意外な言葉で耳が驚き、えって聞き返してもう一回言わせちゃった。横にいってもう月曜3限しか空いてなくて、って時間割を見せながら話していると、立ち上がってくれて、実は算数うまくいってなくてみたいなことを打ち明けてくれた。入ってもいいですか?というわたしに、なんだか微妙に頷いてくれたような。欠けることも多いと思うんですけど、と言うと、それもなんだか微妙なリアクションでよくわからなかった。

 


わたしは求められてるのか、そうでないのか?

寂しいという言葉をセレクトした感覚。