今日は頭のモヤモヤを解決しに、校長室を訪ねることにした。結果的に行ってよかった。構造が見えたからだ。それが意図的なところはまだあるという感想。

 


宮本くんが言われたであろう言葉を聞いて、わたしの対応はたぶん大きく外れてはなかったと安堵したり、校長先生がわたしを可愛い、守りたい、抱きしめたいなどとNGワードをどんどん言ってくるのを聞きながら、先生もそんなふうに思っていてくれていたりしないだろうかなどと考えを巡らせていた。

 


先生が今日言ってくれた、最初信用と言ったのを信頼と言い換えてくれたところを思ったりする。わたしのことを信頼してくれている。嬉しくて、恥ずかしいと言う言葉が口をついて出た。2人きりのデートに誘う人妻を、信頼してくれているというのだ。

 


途中で帰ることになった子の帰る準備をお願いしたいという先生を嬉しい気持ちで迎え、嬉しすぎて過大解釈したかな、その子の荷物を持っていった後に結局先生も保健室にいったんだけど、勘違いだったかな。いいように考えると、わたしがクラスにいたからアピールを先生がサポートしてくれたというか。わたしも大きい顔して保健室に行っちゃうから、それがなんだか対抗を見せてる気がする。それには気づかないふりをしている。そうしてエスカレートしていけばいいと思っている。

 


とにかく今日の大きな収穫は、先生が保健室を選択していることは先生だけの意思ではないこと、

そういう学校の指示で保健室が利用されていることを知れたこと。変にヤキモキすることがたぶん減りそう。

 


わたしが昼休み思わず先生にこんな感じの支援で大丈夫なのか聞いたのは、これを知らないことによるうまくいかなさというか、先生とのベクトルの違いを敏感に感じとっていたのだと思う。校長室に向かったのもそのせいだ。

感覚を校長先生に褒められたのも嬉しい。悪い気はしないのだ。それを宮本くんの前で続ける校長先生。ちょっと気にする素振りを見せる宮本くん。帰りの挨拶に、珍しくガチッと目が合った。ごめんねと、なんか悪口言ってたみたいな気分になり、罪悪感が視線に乗らないようにした。

 


校長先生がそれを天然だなんだと言ったこと、人が集まってくると言ったことをちょっと気にしてる。

まぁその辺は人を見誤ってる。わたしの本当も見抜けないしね。それはもっと強欲だし、欲に忠実だし、人の利益より自分の利益を選ぶし、人を惰性に引きずる。それに集まってくる状態を、わたしはやっぱり良しと思えない。

 


早退する子の連絡帳を探していて、同じところを手にとって一緒に探す先生。頼りないのか、助けてくれてるのか、どっちだろう。